マッキンゼー的ノート利用術
マッキンゼー的ノート利用術
では、今回は医師国家試験のカリスマ講師hzmが働いていたマッキンゼーのノートの使い方を備忘録も兼ねて書いていきたい。
言っておく。理論的で全然面白くない。
自分でも書いていて「もうやだ!頭痛い!」と思った位である。
なので”五浪丸無謀にも合コンに挑むの巻”など「無茶しやがって・・・。」と読む前から画面が滲んで見えなくなりそうな五浪ならではの悲哀に満ちたお話も皆様の反面教師にして頂きたく近々提供したいと思う。
さて、今回はノートの話である。
マッキンゼーでは、ぐちゃぐちゃになっている思考を上手に整理するためにノートの利用を勧めている。
『皆さんは、ノートを取る事それ自体に重点を置いて
とりあえずメモ
単なる記憶
思考の描き殴り
見た目は綺麗
そんなノートになっていませんか』と言うのである。
(暗記用の殴り書きノートとかだとこれでいいのかも知れないが)思考整理の為のノートは工夫しましょうというのだ。「頭で考えている解決すべき問題」から「問題解決の為、実際に動きだす」までの間の部分をノートを使って思考を整理するのが大切であるとマッキンゼーでは初めに叩き込まれる。この「思考を整理する」というのは、つらつらと自分が思う考えを書く事を指すのでは無く、仮説を立てて問題解決の当たりをつけるという行為を言う。
「A:頭で考えている解決すべき問題」と「C:問題解決に向け、実際に動きだす」までの間に「B:仮説を立てて問題解決の当たりをつけること」を挟むのが大切なのである。
また、自分が立てたその仮説に対して
1.問題はどこにあるのか
2.原因
3.対策
という掘り下げを書いていく。
・・・・・・・・・・・??
「全くもって何を言っているのか分からない。」「だから五浪するんだよ。」とか聞こえてきそうなので、具体例を一つあげたい。
具体例
問題
毎日5時間医師国家試験の勉強をしようと決めているのに続けられない
問題が明らかになったので、次に問題解決のための仮説を立てる。例えば2つあげることとする。
仮説1:勉強する環境に問題がある
仮説2:勉強する時間帯に問題がある
仮説に対する掘り下げ
仮説1 勉強する環境に問題がある に対する掘り下げ
問題はどこにあるのか
1 自宅の自室が集中しにくい
原因
2 パソコン、携帯、ベッドなどサボろうとすればサボれるモノが多い
対策
3 リビングに移動する。その際、携帯は持たない。
仮説2 勉強する時間帯に問題がある に対する掘り下げ
問題はどこにあるのか
1 夜更かしが続き朝は集中力がない
原因
2 ネットサーフィンを深夜までだらだら続けてしまう
対策
3 朝に眠さが残らないように夜早めに寝て朝の勉強時間を作る
人は意識しないと原因と対策のみに終始してしまい問題のスタート地点(真の問題)は何かをあまり考えない。真の問題を解決すると問題そのものが発生しないようになるが思いつきで原因をつぶしても根本的な解決にはならない。また、ノートを使わなくとも頭の中だけで整理できそうだとも考えてしまうが、人間の脳は思い込みや過去の経験に引きずられてバイアスがかかる傾向があることは理解しておいたほうが良い。頭の中で何となく整理をするのでは無くノートを使うことは、客観的論理的思考を心がけ過去の経験則だけにとらわれないことに繋がる。
偉そうに書いてはいるが、勿論これは書籍を読んで「ほーん」と現在思うだけであって、これまで五浪丸に何か問題が生じた時はノートを取ることはせず頭で何となく整理することもせず、ただ頭に閃いた方法で対策を考え実行してしまっていた。当然、成功も失敗もあったわけであるが。この状態、心理学では認知的不協和という。
認知的不協和
認知的不協和を少し説明させてもらうと「本当はこれをしないといけないのに、できていない」という自分の中の矛盾した状況があると、その状態を抱えたままでいるのが不快なので、なんとか早く解消したくなる状態をさす言葉で、本当にその方法で矛盾が解決できるかよりも現在の「不快な気持ちを解消したい」という心理が働いてしまう為に、本質的な解決とはズレていてもすぐに思い浮かぶ対策に走ってしまうことをいう。
勉強に関わらず、我々は日々悩み、考えて生活している。認知的不協和、思考整理のノート術を知っておけば、ほんの少し問題解決がスムーズになるのでは無いかと自分に淡い期待を抱いている。また皆様の問題解決の一助になればなおのこと幸いである。
今日のまとめ
- ノートは思考整理に使える
- 思考整理におけるノートの使い方は、問題提起→仮説をたて仮説を検証する→実行のルーチンワークにある
- なぜ頭で考えるだけで無くノートを使うのかという理由は、人間の脳が思い込みや過去の経験に引きずられてバイアスがかかる性質がある為
- 本質的な問題解決よりも目の前の不快を取り除く為、すぐに思い浮かぶ対策に走ってしまうことを認知的不協和という