五浪丸が伝えられること その4
五浪丸がつたえられること
その4
家族、友人は五浪という年月を経てもあまり変わらないが、国試浪人を重ねると態度が如実に変わる典型例がいわゆる病院の「先生」である。
病院の先生
一浪、二浪くらいまでは非常に和やかな物言いで「国試の失敗って結構よくある話なんだよ。僕も浪人してねえ。来年待ってるから勉強頑張って!」などと医局の先生方が僕を見かける度に様々に労いの言葉をかけてくれた。これが、浪人を重ねると段々と相手にされなくなってくる。体感としては三浪目くらいからか。合格できない自分が悪いのだが、冷静に考えると辛辣なコメントを頂いて事情が好転することは何もない。
「こいつは駄目だ」と見限った者への冷淡な態度は五浪丸にもビシビシと伝播し、お世話になった病院に恩返しをしたいと思うものの病院に近づくこと自体が恐怖で出来なくなってくる。自分の無価値や生きていることへの申し訳なさがふつふつとわき上がってきて、惨めな事この上ない。
医師は聖人君子ではないので、こちらがいつも優しさを期待するのはお門違いであるが「もう無理なんじゃないかな、合格。」「諦めたら?」という言葉が聞こえてくると、それはぐさりと胸の深い部分に突き刺さる。反骨精神をもって医師国家試験に臨むのが一番良いのかもしれないが、人間そこまで強くない。
しかし、そんな中にも優しい先生方はいる。
優しいとは、甘い言葉をかけてくれる人を指すのではない。
優しいとは、態度を変えない先生たちだ。
現役の時も、現在も、態度を変えずに接してくれる先生たちだ。
おそらくそういう人たちは、どの患者さんに対してもいつだって態度を変えたりしないのだろうなと「先生の向こう側にいるであろう日々の患者さんたち」の事を、ふと想う。
信頼のおける隣人という概念でも共通するかもしれない。
どんな時だって。
貧乏な時も、お金もちになった時も。
地位がなくても、偉くなっても。
変わらず同じ態度の人。
そんな人たちとずっと付き合っていきたいと思う。
そんな人たちと並んで歩けるように、自分も優しくありたいと思う。
この何年かで失うものも多かったが、気付けたことも色々あった。
医師になる者として大切なものは何なのか。
そしてそれ以前に、人として大切なものは何なのか。
勉強と同じように、日々考え磨いていかなくてはならない。
今日のまとめ
- 病院の医師たちの評価は浪人を重ねると低くなる(三浪目以降は顕著)
- 自分がいくら失敗をしても態度を変えない医師もいる
- 相手の境遇や地位が変わっても、同じ態度で臨む事の大切さを身をもって知る